今何をすべきか

私の父はまだそれほど年を取っているわけではないが、最近ドキッとしてしまうような心配な言動が増えてきた。スーパーに買った物を忘れてきたり、何度も買ってくるペヤングが5段くらい積み重なっていたり、食べようと思って温めていたものを忘れて、他のもので食事を済ませてしまったり。数分前に聞いたことをもう一度聞いてきた時にはさすがにまずいんじゃないかと思った。認知症と物忘れの境界線は難しいけど、できることを時間があるうちにやって備えておくことが、大切な人がより良く生きるために何よりも大切なことだと思う。

祖母も認知症だったけど、気づいた頃にはずいぶん症状が進んでいた。身内に認知症の人がいなかったから、家族の誰も、「まさか」と疑うことすらできなくて、診断が下りて大きな大きなショックを受けた。思い返せばおかしかったことなんていくらでもあったのに、世間でどれだけ認知症についての話題が上がっていても、身近で経験がないとここまでピンとこないものなのかと、自分の観察力や思考力のなさに失望した。

だから、取り越し苦労や心配性と言われても、親のことは早いうちからきちんと考えたい。それが最善だと思うから。

この間はもの忘れ相談会に行ってきた。専門の相談員の方が詳しく話を聞いてくださって、アドバイスに首が取れそうになるほど頷いてしまった。平日しかやっていなくて、貴重な午前休を取ってまで行かなくてもいいかと迷ったが、行って本当に良かった。

忘れたくないことを一つだけ書き残しておきたい。あとは時間がある時にまた。

認知症の人は、今までとできるだけ変わらない生活を送ることがとても大切なんだそう。祖母が症状が悪化して精神科病棟に入院した時は、「盗聴されている」と言って病室に入るのを嫌がってしまい、ベッドに抑制されてしまった。それから筋力が衰えて寝たきりになってしまい、ひどいところだから病院を変えようかと話していた矢先に亡くなってしまった。相談員の方は、認知症の方がいきなり病院に連れてこられて、知らない医師や看護師が自分の部屋に出入りして、普段は誰もいない部屋に一人きり、まっしろな壁や天井を眺ているだけでは、それは症状が進んでしまうような、本当に良くない環境だとおっしゃった。

考えてみればそれはそうだなと思うけど、改めて言葉で説明されると、ずしんと胸にくるものがあった。

入院は言うまでもなく、施設にも入らなくて大丈夫なように、できるだけ長く家での生活を続けられるように、早め早めに動いていこうと、指針を立てることができた。

本を読んだり自分の知識を蓄えることも重要だけど、経験豊かな人のお話を聞くことが何よりの道しるべになるのかもしれないと思った。

いつか家族ガチャから解放される日は来ますか

何年もずっと家族を続けていても、降りかかる困難に慣れることはないし、苦しくなるとわかっていても、同年代の人がキラキラして見えて、普通の家族に憧れることをやめることはできない。

自分の受け止め方次第で前向きな生き方を選んでいくしかないのに、その精神的余裕が自分にはない。

 

一番つらかった時期には、サランラップが顔に貼り付いているような想像が頭にこびりついて離れなかった。

不幸がサランラップみたいに顔に貼り付いてはがれなくなって、いつか息ができなくなってしまうという恐怖にいつも駆られていた。

そんな脅迫的な観念に支配されるなんて、もうすぐ頭がおかしくなるんじゃないか、と怖くもあった。

ずっとこの苦しみを背負い続けて生きていくには、一人では抱えきれないからカウンセリングを受けたいと考えることもある。でも、カウンセリングの相場は信じられないほど高い。役所のカウンセラー無料相談の受付は平日のほとんどの人が働いている時間にしか開放されていない。収入の苦しい人や休みを取る余裕のない人の方がカウンセリングが手の届くところにあってほしい、それが最後の砦になったりするんじゃないかって考えたりするけど、そう簡単にはいかないんだなと思う。

だから、頭がおかしくなる前に、こうやって吐き出したいと思った。

 

私の姉は、唾を吐く。チックの一つだ。チックって、瞬きを強くするとか、体のどこかを少し動かすとか、それくらいしか症状がない人が多いのかな。人によって症状は様々なのだろうか。姉は周りに嫌な思いをさせる症状が多いから、もう何年経っても、いや年数を経るにつれてこちらが疲弊している。何か気に入らないことがあると、「死ね、死ね」と小声で何度も言ったり、白目を剝きながら中指を突き立てたり、親指を下に向けたりする。しかもその指が明らかにこちらを向いているのだ。チックなのか、わざとやっているのかわからない。唾を吐くのは汚なすぎて、もうそろそろ限界にきている。部屋中どこでもおかまいなしに吐きまくる。特に、水場だと吐いていいと安心するのか、思い切り音を立てて吐き散らす。洗った食器に吐きかけるから、唾がかかっていると知らずにコップを使ってしまうと、食欲の失せるような悪臭で気が滅入ってしまう。夏に気温が高くなるともう地獄だ。部屋に充満する唾の匂いが濃くなって、ムッとする。ほぼ年金暮らしの親をしゃぶりつくしながら、昼間はアイドルの動画を見て家に引きこもっている。仕事で疲れて帰ってきた日やゆっくりしたい休みの日には、そんな奴が、「ブ~ッッ」と気持ちよさそうに音を立てて唾を吐き散らしている音や臭いで、動悸がしてくる。見るのが本当に不快だから他の部屋にいても、吐き散らす音からは逃れることはできない。

 親は残りの人生で可哀そうな娘を大切にしたいのか、働かないことに対しても何も言わない。楽しそうにアイドルの話をしたりしている。ああ、いなくなった後も一人で生きていけるようにどうにかしようとはしないんだ、その後は私が一人で背負って生きていくんだなと悟って、何とも言えない孤独感を味わった。この姉がいなかったら、私の人生はどうだったんだろうと、何度でも思う。

 親不孝になるから、生きているうちは絶対に自殺しないけど、親がいなくなった後はわからないとか、色々とほざいている。

 正直、散々甘えて周りを苦しめて生きてきた分、親がいなくなった後は、死ぬほど苦労して野垂れ死なばいいんじゃないかと思ってる。生活保護を受けるようになっても援助はしないと思う。でも、その時の自分はどうなるんだろうと考える。

 自分の収入を削って姉を支えるのも嫌だし、自殺されて、自分がもっと何かすべきだったと、一生後悔の念に苛まれて生きていくのも嫌だ。どう転んでも、一生姉に振り回されて生きていく未来に、時々発狂しそうになる。

 親ガチャが良くなかったとしても、いつかは解放されるけど、兄弟ガチャで外れると、文字通り一生その運が付き纏ってくる。これだけの年月を経て慣れていないんだから、きっとこれからも慣れることなく苦しめられていくんだろうな。

 本当に殺したいと思ったことはないけど、不慮の事故とか、願ってしまうことはもう仕方ない。一度だけ、姉を殺す夢を見たことがある。自分の家ではなかったけどどこかの家で姉以外の家族もいて、私は部屋で姉と二人の時に殺して棺のようなものに入れて隠していた。両親には、二人で二泊三日の旅行に行ってくると嘘をついていた。いなくなったらもっと楽になるものだと思っていたのに、とんでもなかった。部屋に隠れてる間、最初の二日くらいは何ともなかったけど、本当に起きない死体を見て、取り返しのつかないことをしたと、とんでもなく苦しい後悔がみるみる濃くなっていった。そのうち、「戻ってこないね」と話している両親の声が聞こえてきて、苦しくて苦しくてたまらなかった。今まで見た夢の中で、一番嫌な夢だった。起きたときの疲労がすごかったし、夢なのにあの苦しみは今でも自分の中に刻まれている。そんなことを本気で考えたことは一度もないけど、神様が、間違えを犯さないように、やってしまったらどうなるかを味わわせてくれたのかなと、起きてから思った。神様が見させてくれたんだ。

 

 そしてもう一人は祖父。昔の人は自分中心でヤバい人が多いと思うけど、その中でもヤバい方だ思う。

 嫁入りした母を女中のようにこき使った。いつも母は祖父の後にお風呂に入っていたが、たまたま祖父が飲み会か何かで帰りが遅く、母が先にお風呂に入り、ちょうどその間に祖父が仕事から帰ってきてしまった日があった。祖父は父と母を呼び出して正座させると、嫁入りして自分より先に風呂に入るやつがどこにいるかと怒鳴り散らしたらしい。父は、いつも女中のようにこき使って、家のことを何から何までやらせてるんだから、風呂に先に入るぐらいいいだろうとかばったらしい。すると、お前は黙ってろと言って、持っていたコップの酒をバチャッと父に浴びせかけたらしい。父と祖父は昔からずっと仲が悪かったが、その一件以降、さらに悪くなり、今でも母親が間に入って気を遣っている。姉と兄がケンカしていた時には、二人を止めている母親に、お前の育て方が悪いからだと怒鳴って、出て行けと言った。私はその後、兄と一階で外を歩いている人を眺めながら、母親が出ていっていないかどうか見張っていた。

 若い頃に苦労したのか知らないが、馬鹿みたいにケチで、自分にしかお金を使うことができない。6年前に祖母が亡くなった時には、祖母が子や孫に残してくれた遺産を全部譲ってくれないかと言って自分のものにした。孫たちの面倒を見てあまり今まで遊ぶことができなかったから、残りの人生で遊びたいという理由らしい。何もしないで家にいるのに、まだ働いている母に何から何までやらせて、値上げが続くこの時代にたった3万しか家に入れず、自分は400万のインプラントをして、コロナが落ち着いてきた今年こそはクルーズ船で世界旅行をしたいそうだ。付いていって海に沈めたいくらい。

 

 両親は二人とも、自分は二の次で、苦労を惜しまないお人好しみたいな人だから、こういう人は、老後は自分のために幸せに過ごさなきゃいけないと、心から思う。それなのに、唾にまみれた汚い部屋で娘の面倒を見て、ストレスなく長生きする老害に吸い尽くされて、こんなことってあっていいの?

 どれだけ恩返しできるかわからないけど、家のこともやって、少しでも役に立ちたい思いで毎日必死こいて生きてる。でも、時間や稼いだお金を自分に使える花の20代、あの二人がいなければ、私の人生は、両親の人生はどうだったんだろうと、やっぱり考えずにはいられない。

 姉の汚いチックも、祖父の人間性も、すべてを受け入れて笑顔で接して、自分にできる最善のことをするのが、強靭な人として成長していける理想なのはわかってる。その強さがあれば、自分も良い方向に進んでいくし、苦労は多くても魅力的な、良いことを自力で引き寄せられそうな人間になるだろうということも、何となくわかる。でも、汚いものは汚いし、許せないものは許せない。残念ながら、自分にその強さはないんだろうと思う。この苦行から一生解放されずに、不幸が顔に染み付いたような顔して生きていくんだろう。わかっちゃいけないことだけど、やってはいけないことをやってしまう人の気持ちが、少しだけわかってしまう気がする。テレビで見た事件について話をする時は、自分はそれを起こしてしまうような環境に生まれず、遠くから眺めて噂したり批評できるような立場であることを感謝した方がいいよ、とどちらかと言えば噂する側に言ってしまいたくなるくらいだ。外からいくら目を凝らして眺めても、家族ガチャに外れた人の苦しみは、絶対にわからない。

慣れていない時に見えたこと

 私は学生時代、個別指導塾のアルバイトをしていました。

 始めたばかりでまだ仕事に慣れていなかった頃、同じアルバイトの先輩の言動で、深く印象に残ったことがありました。どこかに書き留めていたわけでもないのに、今でもはっきりと覚えているくらい、私には違和感のあるものだったんだと思います。

 その先輩は、何年も講師として働いているベテランのアルバイトで、授業の質はとても高く、より良い授業のためには努力も時間も惜しまないような人でした。もちろん、生徒や社員からの信頼は厚く、その人なしでは塾が成り立たないくらいの貢献をしていたと思います。

 その人は、通常の授業以外にも、入試特訓など受験生に関わる責任の重い仕事も任されていました。私も個別指導で中3生に関わる機会はありましたが、個別指導でさえ、自分の受け持つ生徒の大切な将来を担っているという重圧感がすごかったので、集団授業として行われる入試特訓で、多くの生徒たちに教えるという、社員でさえ責任が重いであろう仕事を引き受けているその人の力量には脱帽していました。

 高校入試の合格発表の日、社員は受験生からあらかじめ聞いていた受験番号をもとに、各高校のホームページで、受験生一人一人の合否を確かめていきます。そして数日後に結果をまとめた資料が講師の控室に貼り出されるので、アルバイトの講師はすぐに結果を知ることはできません。しかし、そのベテランアルバイトの人は、責任感が強く、少しでも早く生徒の合否を把握しないと落ち着かないということで、社員の一人に、合格発表当日に、生徒全員の合否の結果を自分にメールするようにと頼んでいたらしいのです。

 頼まれた社員も発表当日はてんやわんやだったのでしょう、ベテランアルバイトに結果を報告することができなかったようでした。

 翌日に出勤したベテランアルバイトは、報告を忘れた社員を呼び出し、説教をしていました。嫌でも内容は聞こえてきて、合格発表の日に何をしていたか、一日のスケジュールをすべて話させた後、「じゃあこの時間に俺に報告できたんじゃないの?」と詰問し、社員に謝罪させていました。確かにあれだけの貢献をしたのに、合否の報告を忘れられてしまったら、やるせなくて、何か言いたくなるだろうとは思います。それでも。そうであっても、入ったばかりの私は、『アルバイトの立場で、社員に説教してる…。社員の多忙っぷりを見た上でそんなこと言ってるのかな…。自分の立場、ちゃんとわきまえてるのかな』と思ってしまいました。

 授業で生徒と関わる時には、社員もアルバイトも立場は同じであると思います。しかし、アルバイトは生徒と接するだけで、その日の仕事は終わりですが、社員はバイトが帰った後ももちろん、日々の雑務や責任のある仕事に追われ、特に入試の時期には多忙を極め、家に帰るのが明け方になることも少なくないといいます。やはり、どんなにバイトが頑張ったところで、社員との責任や仕事量の多さの違いは歴然だと思うのです。

 間違いを批判するのは大切なことですが、相手の失敗の背景を慮ることや、立場をわきまえた上での発言が、必要なのではないかと思わずにはいられませんでした。

 その説教を聞いているだけで悶々とした気持ちになりましたが、さらに、最後に言った一言に衝撃を受けました。

 「まあ、俺の受け持った生徒は全員受かったからいいんだけどさ」

 と言ったんです。私は思わず、受験を終えた中3生が教室にいないか、周りを確認してしまいました。考えなくてもわかることですが、裏を返せば、「俺が受け持たなかった生徒は受かってなくてもいい」ということになります。教室でよくそんな言葉が吐けるなと唖然としましたが、その人は、口からこぼれ出るように、ごく自然に、会話の一部としてそれを言ったように見えました。

 

落ちた子の前で、同じことが言えるのか。

自分が受け持たなかった子の前で、同じことが言えるのか。

 

 受験生と他の誰よりも近くで接し、一人一人の努力を痛いほどにわかって、合格を願っていたのならば、そんな言葉は選択肢にも上らないのではないでしょうか。その人が、生徒のことを想って仕事しているのか、自分のプライドを誇示するために仕事しているのか、わからなくなった出来事でした。

 その後、機会があってそのベテランアルバイトと話したとき、不合格で、塾に挨拶に来ることなく退塾した生徒のことを、「〇〇と直接会って励ましてやりたかった」と言っているのを聞いて、なんだか泣きたい気分になりました(笑)合格発表の時、自分の受け持った生徒の合否、いや、自分の授業の成果で、合格率100%を叩き出してやったということしか頭になかった講師に、励まして「やる」と同情された生徒には、あいさつに来なくて正解だったよ、これからたくさん良いことがありますように、と願わずにはいられませんでした。

 その頃の私は、入って間もないこともあり、自分の力量の無さや、生徒に伝える難しさを思い知り、もっと上手くできないかと、歯がゆい思いをする毎日でした。もっと努力して、生徒が頼りたいときにいつでも力になれるようにしたい、と必死だったので、早く慣れたい、慣れて、できることを増やしたいといつも考えていました。慣れるほどに、生徒との関係も深まり、色々なことに気づけるようになるだろうと。でも、その会話を聞いて初めて、「慣れていいことと、だめなことがあるんだ。慣れても、あんなこと平気で言えるようには絶対になりたくない」と強く思ったことを今でも覚えています。慣れていないからこの違和感に気づけたのだとしたら、この感覚は忘れたくないな、とも思いました。

 その塾でのアルバイトは4年ほど続けましたが、慣れた今思うことは、慣れ不慣れではなく、感覚の違いなんだろう、ということです。

 そのベテランアルバイトには、授業のやり方など参考にしたいことがあれば事あるごとに相談に乗ってもらいましたが、あの時に抱えた違和感は、消えることなく、その人の心ない言葉を聞くたびに増していき、そういうことが何度あっても、その配慮の無さに慣れることはありませんでした。

 最近で一番印象に残っているのは、高3生の話を聞かされた時のことです。志望校に手が届かないかもしれず、精神的に追い詰められて、堰を切ったように泣き始めたその子を、自分が慰めて「あげた」という内容でした。自分は、授業の質だけでなく、生徒の精神的な支えにもなっていて、心から信頼を寄せられているという、「頼りにされてるエピソード」のうちの一話にしか聞こえず、本当に心配しているのだろうか?とただただ疑問でした。 

 まあ、私が生徒だったら、担当した講師には、自分が泣いてしまったことも、成績が思わしくなくて、志望校に手が届かないかもしれないことも、室長以外の他の講師にはベラベラと話してほしくないだろうな、ということだけは思いました。

 生徒のために一生懸命なのか、自己顕示欲のために一生懸命なのか。

 動機は何であれ、生徒のためになっているのは間違いなく、他のどの講師より生徒に届くであろう授業をしているのは明らかだと思います。それは、彼の計り知れない努力の上に成り立っているのだろうとも思います。だからなおさら、その道徳心の無さというか、自分はこんなに頑張ってますっていうのを表に出さないでほしいと思ってしまいます。そこに気づけたら、もう完璧なのに。

 私は大学生だったので、生徒と年も近く、相談事を打ち明けてもらいやすい立場だったのか、たくさんの生徒から色々な話を聞きました。その中でも、その講師に関する相談は多かった気がします。「授業はすごくわかりやすいのに、プライベートのこととかまで、『おれを頼っていいんだよ』って言わんばかりにズケズケ聞いてくるからやりづらい」とか、「授業は受けたいけど、それ以外のことが嫌すぎて、究極に悩んでる。こんなことで悩まないで、授業に集中できたらいいのに」とか。

 生徒の悩み事増やしてますよ、こんなに苦しめていいんですか、って、いつも言いたくてしかたありませんでした。一応室長には相談しましたが、さすがに、授業どうこうではなく、人間性を改善するように指摘するのは難しいのだと思いますが、ベテランに変化は見られませんでした。生徒が嫌がっているのにも気づけず、逆に精神的支柱になっていると思い込んでいるのだから、もう素でそういう人間性なんだと思います。

 つまらないプライドに生徒を巻き込んで、でも、そのつまらないプライドが無ければ、質の高い授業は存在しないのかもしれない、と考えると、本当に、究極に難しい問題であるように感じました。

 大人になったら、人としても、何でも大人になるものだと思っていました。

 でも、頭が良い悪いに関係なく、大人か子どもかの関係もなく、人の気持ちが推し量れない人は一定数存在していて、それは容姿と同じように、生まれつきのもので、ずっと変わらないのかもしれないと考えさせられました。

 そういう人と上手く付き合っていくことは必要だけど、教える立場である以上、もう少し、自分のことを差し置いて、本気で生徒のことを考えられるようになってほしいと、今でも思っています。